でもねちょっと飛び込めないの。

私がカフェで働いていた時、
歌手になりたい夢を追ってる人がいたり、音楽や歌を歌うことが好きな人がいて。
そうやって自分が本当に好きなことのために生きてる人達がすごく羨ましかった。

人が自分の好きなものに向き合ってる姿って、魅力的だと思う。

ちょうどその頃に出会った気になる人にも「Rubyは意思が弱い。自分がない」

と言われたばかりで。

あたしは一体なにがしたいんだろうって、周りから言われ、自分でもわからなくなった。

夢や何を言われても構わないくらい好きだと言えることがない自分をなんだか寂しいと感じた。

いや、もしかしたらないと思い込んでるだけかもしれない。
そう思ってた方が守られるから。

あたしは何が好きだっけ。何が欲しかったっけ。好きなものを知り尽くして、誰かに喜んでもらいたい気持ちがずっとあったのに

安定を取ったり、
世間的に良しとされる道を進もうとしたりして、でも結局上手くいかなくて空回ってきた。

結局自分も、周りも見えなくなるような感覚で今もOLをしている。
そんな自分が嫌だ。だから、会社を辞めると言ってしまった。
また同じことを繰り返してしまった。
あたしの本当の気持ちは一体何なんだろう。

好きなように生きてみたい。
好きなことに挑戦したい。

綺麗になりたいし、心も磨きたいし、人のためになりたいし、お洒落になりたいし
何よりいろいろな経験を通して人として大きくなっていきたい。成長したいって思いがある。

そして過去にされたことも同じことを繰り返したいわけじゃない。
ちゃんと誰かを幸せにできる女性になりたい。

だからこそ、いまの自分にとって後悔のない選択を取りたかった。

あの楽園の先に憧れてる。

どうも。わたしはtwitterを17歳の時から始めて、23歳になりました。

情緒不安定な人間なので名前はコロコロ変えてしまうんですけどね。同じアカウントで思ったことや感じたことを日々呟いております。

さて、ブログなんて何年ぶりだろう。

わたしは小学生の頃からありがたいことに、インターネットをさせてもらえる環境にいて

その頃からブログ書いたりHPを作ったり、なりきりチャットしたりと思い思いのことをしていたのを思い出す。

母と祖父母の血は繋がっておらず、母が妊娠を機に結婚し、父と祖父母の家に二世帯で住んでいました。

生まれた時から家庭環境は複雑で、

中学生の頃に私が学校にも、家庭にも、自分にも、
全てに切羽詰まって登校拒否になってそんな楽しいことも気軽には出来なくなって

「私の行動ひとつでこの家族はいとも簡単にばらばらになるものなのか」ということを思い知らされた。

それから通信制高校に行って、わたしと同じように家庭に色んなトラブルを抱えた子達と一緒に過ごしてた。虐待された子やネグレクト、私と同じように複雑な事情を抱えている人たち。

そこで見たものはけしていいものではなかった

勿論先生はすごく懐が広い方で、教育に対して純粋な考え方を持っていた。
勉強そのものは昔から嫌いではなかったし、私みたいに普通のレールから外れた人間でも学べる機会を与えてくれた。
理事長や先生たちが私に手を差し伸べてくれたから今がある。

あの手やあの言葉がなければ私は本当に終わってたと思う。

ばらばらになった家族と、壊れそうな自分がいて、時間が止まったまま、ほんとに抜け出せなかった。

世間一般的に生きるために大学に行ったけど、すぐに辞めた。

記憶が中学生から途切れてるような感覚。
未だに自分には何が幸せなのか分からない。何に幸せを感じて、どんなことに無我夢中になれるのか。

23になって、これまでに色々な出会いがありました。
10代の時と比べて自由な選択ができるようになってから少し変わった。
自分にとって、こうなりたいと思える相手や機会に出会えるようになった。

なにもかも今は漠然としているけど、一つだけ言いたい。

自分にはこれだけは捨てられないと心に決めてる事がある。
この過去の嫌なぐらい見てきた世の中や大人の汚い弱さの部分を

あたしは全部笑い飛ばせるくらい夢中で今を生きたくて、幸せになりたい。


仕事もして、自分のように悩んでる誰かのために何かが出来るような素敵な女性になりたいと思ってる。

親の弱さも、自分の弱さも、
あたしは、絶対に超えてみせる。
絶対に。どうなろうとも。

これまでわけわからなくて死ぬほど病んで泣いてきた分、笑ってみせる。

名前なんてないプロローグ。

自分の感じてることとか考えてることとか、ちゃんと残しておける場所が欲しかったんですよね。後々自分で読み返して、あーこんなこと考えてたんだな。こんな自分もいたんだって。

人間は忘れる生き物、らしい。

ほんとにそうならつらいことだけ忘れられればいいのにね。

私の場合はどちらかというと嬉しいことよりも悲しいことの方が胸に色濃く刻まれてる。

育った環境のこととか、自分が一番辛かった時の周りの行動とか。

親たちの人生は、私が生まれて変わってしまったのかもしれないってこととか。

いま思い返しても、おぞましいっす。人間模様って。

生命は尊いとか大切にしようと謳っていたとしても、本当の意味でそれを愛して守り抜けるのかはまた別物なのかもしれない。なんて悟ったことを考えてしまう。

愛とか恋とか綺麗事を語ることはいつも簡単かもしれないけど、その中にあるほんとの価値を見つめていけるかなんて分かったもんじゃない。

なんとなく、流れで生きて適当に妥協して自分だけが楽になったとしても。その先に自分が後悔しない選択があると言えるのか、とか。

それなりに腹を据えて生きてるつもりが、なんにも見えてこないことに苛立ってんだよね。